星を継ぐもの
「ふいぃ、なんとか落ち着いたあ」
『生徒会企画エルダー主演劇成功おめでとう』と白チョークで大書された黒板を見上げて、七々原薫子が大きなため息をつく。
そんな薫子に
「おつかれさまでした。薫子さん」
と声をかけて、妃宮千早が紙コップを渡す。
半分ほど注がれたお茶は薫子の喉の渇きを気遣ったのではなく
「飲み物ありますからご心配なく」というサインのためらしい。
注がれたジュースを促されるままに飲み干して、お腹に小さな池でも出来たような気分になっていた薫子は
「うう。あたしもそうすればよかった」と愚痴りながらも、礼を言ってコップを受け取った。
本日――創造祭から数日後の週末。生徒会主催企画参加者の有志を集めて、演劇成功を祝って打ち上げが行われた。
とはいえ飲めや歌えのどんちゃんさわぎではない。
聖應女学院の女学生にふさわしくジュースやお菓子を持ち寄ってのお茶会であり、
どちらかといえば、演劇部や放送部から出向したり兼任したりで協力してくれた大道具小道具や照明音響などの裏方に対して、
生徒会からの慰労の意味が大きい。
「気配りと人望」の初音会長ならではのイベントで、諸部門の裏方以外に、千早と薫子のクラスメイトである3-Cの面々も招待されている。
となれば、四人の生徒会役員はもちろん、主演女優たる二人のエルダーもホスト役。
薫子などは感謝の意味を込めて「がんばってもてなすぞ」
と気合いも入れていたのだが、始まって早々に逆に参加者が争ってお菓子やジュースをもって周囲に群がり、
雨のように降り注ぐ感謝と賞賛の言葉で、何が何だかわからなくなった。
……ようやく場が落ち着き、それぞれにまとまって歓談できるようになったのは、会長の開会宣言後20分が経過した後のことである。
とはいえ、力尽きているのはダブルエルダーの1人だけで、もう1人の方は要領よくかつ優雅に立ち居振る舞って
(少なくとも外見的には)全くダメージは感じられない。
さらに生徒会長として今回の企画の総責任者の立場にある初音は、今も演劇部副部長の水沢玲香と連れだって、
精力的に裏方や下級生のテーブルを回っている。
玲香に参加者を紹介され、役割の説明を受けて、裏方の仕事の重要性に頷き、仕事を褒め、苦労を労い、一人一人に感謝して握手をする。
……などということを繰り返している。
「すごいな―と思うんだよね。初音のああいうところ」
遠目に親友の後ろ姿を追いながら、薫子が言った。
「計算じゃなくて、素でやってるんだから尚更すごいと思うんだよ」
「そうですね」
千早も薫子の言葉に頷き、心の中で思う。
もしも、学園祭がエルダー選挙の前にあったら、きっと聖應女学生の鑑(かがみ)たる『エルダー』は自分などよりも……
「まさかとはおもうけど。『エルダーには初音会長がふさわしい』なんて、思ってるんじゃないだろうね? 千早さん」
「え?」
まるで、心の中をのぞき込まれたかのようなその『言葉』に千早は思わず背後を振り返った。
そこには真行寺茉清の瀟灑(しょうしゃ)な立ち姿があった。
ほんの少し口元をゆがめ、銀色のフレームの奥で切れ長の目を細めている。
意地が悪そうでありながら楽しそう。
たとえるなら餌をついばむ雀を見つけた猫のよう……とは、いささか言い過ぎだろうけど。
しかし、これはこれで珍しいことである。
気遣いにせよ悪戯心にせよ、茉清という人物は他者への働きかけが極端に少ない。極稀な例外を除けば、必要以上の事をしゃべろうとすらしない。
話しかけてもレスポンスの有無はその時の気分次第という彼女である。
「……そんな意外そうな顔をしないでほしいな。芝居がかったのはあやまるよ。
自分がそう感じたから、もしかしたら君たちもそうじゃないかと思ったのでね」
「たしかに、そう思っていましたから。あまりいいタイミングだったので驚きました」
と千早は茉清に苦笑を返した。
「私はいつだってこんな自分がエルダーでよいのかと引け目を感じていますし。
そうでなくとも、あの初音さんの後ろ姿をみると圧倒されてしまって。
そんなことではいけないと思いながらも、我が身の至らなさを省みずにはいられないのです」
と苦笑のまま、千早は茉清の顔を見上げる。
ある意味、茉清はただ独り、この件に関して千早の心境を忖度できる立場にある。否。
ただ一人、その『資格』があるといってよい。
真行寺茉清こそは、四人目のエルダー候補であり、自らその席を降りて千早に得票を託した人間なのだから。
その意味でいえば、茉清は千早が唯一弱音を吐いても(それを肯定するか否かは別にして)聞き届けねばならない人物といえる。
妃宮千早、七々原薫子、そして真行寺茉清。
奇しくも、といってよいだろう。この狭い教室の中に、エルダー選挙で壇上に招かれた4人が揃っていて、しかも皆瀬初音以外の3人が揃っていた。
「――で、だ」
茉清はこほん、と咳をするようなゼスチャアを挟んで、へたり込んでいる薫子へ問いかけた。
「薫子さんはどう思う?」
「あたし? ――んーそうだねえ」
腕組みをして、こきんと首をならし
(頭を使い出すと、途端に無防備になって地がでるのはご愛敬)薫子が言った。
「初音は凄いし、偉いし、立派だし。でも、初音だからねー。
付き合いが長すぎる所為だと思うんだけど、にこにこしながら嬉しそうに握手したり話たりしてるのみても、
あたしの場合、『ああ、初音だなー』以外の感想は出てこないんだよね」
いかにも付き合いの長い親友同士だからこその、見解であった。
「そりゃあ、あたしに比べれば万倍エルダーらしいし。
千早や茉清さんと比べたって遜色ないとは思うけどさ。
初音のアレは『皆瀬初音生徒会長』だから――生徒会を率いてきたからこそ、できあがったもんだとおもうんだよね」
「生徒会長なればこそ、と?」
うん。と薫子は頷いた。背筋を伸ばして、居住まいを正す。
「昔……私のお姉様がエルダーになった時に、学校新聞の号外が出てさ。その見出しが誰が考えたのか知らないけど、『櫻の園のエトワール』だったのよ」
急に話の流れが変わる。薫子が少し考え込むようにしながら話そうとしていたので千早は黙って続きを待つことにした。
茉清は怪訝な顔をしながらも「ああ、そういえば」と相槌をうった。
「何故か『白菊の君』じゃなかったね。それで私もおぼえているんだけど」
薫子もうん、ともう一つ頷いた。
「櫻の園というのは学生寮がいくつもあった時代に今の寮の建物が『櫻館』と呼ばれたことに因んでいて、
『エトワール』――『星』はお姉様……周防院奏様が演劇部の花形女優だったことに関係あるんだろうけど……」
薫子は小さく吐息してから、幽かに笑った。
「その時におもったんだ。エルダーってさ。ほんとに『星』なんだよね。超新星みたいにさ。エルダー選挙の時の誕生するんだよ」
どれほど信望をあつめようが、その瞬間までは、単なる最上級生に過ぎない。
それが全校生徒の「乙女たるもの、かくあれかし」という羨望と期待を寄せられ集めて、やがて爆発的に誕生する。
……場合よっては当の本人の意向すら無視して。
銀色の巨人一族ならぬ凡人には、いささか混乱を催す事態。
宇宙警備隊をやろうなんて風にはそうそう「開き直れる」わけはない。
「それとは反対に聖應の生徒会長は『世襲制』じゃない? 先代の卒業前に指名されて引き継ぎを承けて『生徒会長』になっていく……」
自分自身の理想と先代の『宿題』を抱えて歩み、それを後の世代に託す。
有能だったり元気だったりと特徴はあれども、ごく普通の生徒が、困難を一つまた一つと越えていくうちに唯一無二の『生徒会長』へと成長を遂げる。
「あたしは、さ。
初音が櫻館にやってきて、由佳里お姉様の妹になって、陸上部に入って、生徒会の書記になって、
お姉様の思いを引き継いで生徒会長になって――そんな二年間をずっと側で見てきたから、そう思うんだろうけど」
エルダーシスターは、エルダー選挙の結果として……全女学生の憧憬を集めて『誕生』するもの。
聖應女学院・生徒会長は、前代を受け継いでいつしか、それにふさわしい人間へと『到達』するもの。
その出生の違い故に、二つの『華』は並び立つ。それが聖應伝統のエルダーと生徒会長。
櫻館での日々で出合った人々の面影を一人一人思い出しながら、薫子は心の底から宝箱を持ち上げるように、思い出をたぐった。
「あたしはね。生徒会長は初音しかありえないし、誰かが代われるものでもない、と思うんだ。
そして、初音がエルダーにふさわしいかといえば、間違いなく相応しいんだけど、
それは生徒会長という職責と歴代の願いによって、そこまで成長したのであって……仮にエルダーになったとしても、
生徒会長とエルダーの立場が相容れない時は……初音はきっと先代から――由佳里お姉様から受け継いだ
『生徒会長』であろうとするんじゃないかと思うんだよね」
菅原君枝様なんて、生徒会長にして「かぐやの君」の二つ名をもつエルダーシスター……だったわけで、
両方全うしちゃって完璧だった物凄い人も歴代生徒会長にはいるんだけどさ、と付け足す。
「まあ、自分を完全に蚊帳の外に置いて無責任に論じてみるならば……あたしの見解はそんなトコ」
そして、その上で、「たとえば、の話しだけどさ」と、薫子はにやりと笑った。
「そんな感じの責任感の強い真面目な生徒会長殿が『ダブルエルダー』の片割れだったら、千早の苦労はもの凄いことになったんじゃないかなー? 」
「う゛っ……」
千早は喉の奥で唸って、言葉を飲み込んだ。
エルダー選の時に、薫子が初音に得票を譲渡していれば起こりえた事態である。
そして、その結果、ここまで彼女たち(他一名)が紡いできた物語は全く違う展開を見せたろう。
もしも、あの時、あの場所で、千早の側にいるのが薫子ではなく初音だったのなら……
そう思うと、薫子とは別のベクトルで、心強くもあり同時に苦労しそうでもあった。
千早が薫子に言いくるめられるという物凄く珍しい光景に茉清が目を瞬かせていると、薫子はますます調子に乗った。
どうやら、薫子の想像の中では自分だけは気楽なポジションにいるらしい。
「多忙な生徒会長をやった上にエルダーになるっていうなら、初音も凄まじく大変だろうから間違いなく巻き込まれるね。
まあ、あたしはきっと気楽だろうねー。わっはっはー」
七々原薫子、我が世の春である。
「ニコニコしているけど、初音はあれで人使い荒いんだよね。
――いやいや、こき使うとかじゃないんだなー。
『気がつくとこき使われている』というか、周りにいると自然と
『頑張らなきゃ。仕事しなきゃ』って思っちゃうんだよ。あれ不思議だけど」
けらけらと笑いながら続ける。
「本人は何にも強制とか命令とかしないんだけど、一生懸命が伝染するというのか。
気がつくと力一杯仕事してるんだよね。
そりゃもう生徒会なんてきっと物凄いことになってるし。
いや、あたしもなんやかやと手伝いはしてきたけど、由佳里お姉様の頃はまだしも、
初音の代になってからの生徒会なんてもうサービス残業上等の企業戦士ぽいんだもん。
ダブルエルダーは生徒会室に『カンヅメ』だね!」
と、そんなことを上機嫌で話していた時
「大丈夫ですよ~」
などと、のんびりした声が薫子の背後から聞こえた。
「ぜっ――たいっにあり得ませんけど、もしもそんなことになったらー」
そして、がっし、と声の主が薫子の肩を両手で掴む。
「薫子ちゃんには昔みたいに生徒会に手伝いをしてもらいますからー」
さらに
「……その場合、『庶務』をやってもらうのがいいでしょうね。
どうせやっかい事を見つけるか、探すか、作るかするんですから。
最初からトラブルシューターの立場にいていただいた方がまだしも全体の効率がよくなるでしょう」
――氷のように冷ややかな声が追い打ちをかける。
「お、おや?」
薫子が振り返ると、そこには柔らかい笑顔の生徒会長と硬い笑顔の生徒会副会長がいた。
「あれ。いつから……」
「『エルダーになったら』私が人を『こき使う』ところかしらー」
うふふふふふ。と、どこか虚ろな笑い声が響く。
「こわっ。こわいってば、初音っ……てか、いってないってば、そんなこと。ちょ、まっ、いや誤解っごかいだからー」
「うふふふふー。どんなごかいー?」
「六階の下で、四階の上の……ゴメンっ。冗談っ冗談だってばっ」
苦し紛れの駄洒落もスルーされた薫子が、ずるずるずるーと初音に部屋の隅に引きずられていく。
「……」
「……」
そんな二人の様子を呆然と眺めやった後、ふと視線を戻した千早は、やはりため息とともに顔を戻した烏橘沙世子を真っ正面から向き合うことになった。
そして、しばしそのまま、お互いの瞳をのぞき込むように向き合う。
「本当に」
そう口火を切ったのは沙世子だった。
「初音会長が薫子さんの票を預かってエルダーになっていたら、どうなっていたのかしらね?」
顔も視線もそらさず、千早は目を閉じ、少しの黙考の後で、目を開いた。
沙世子の視線は千早が目を閉じる前と同じ場所に据えられたままだった。
「そうですね」
その瞳を幽かな微笑みとともに見返して千早は言った。
「きっと日常の喧嘩や意見の対立は逃れ得なかったと思いますが……」
沙世子が彼女自身であるように、千早は千早以外になれないが故に。
「きっと、沙世子さんと私はもう少しだけ、仲良くなっていたと思いますよ」
「そうかしら?」といぶかしげな沙世子に、
「ええ」と千早は笑って見せる。
「優しい初音会長とまっすぐな薫子庶務に見えないところで、ふたりして色々と悪巧みをするのではないかしら」
沙世子はしばらく何もいわなかった。そしてもう動揺もしなかった。
ただ、静かに千早を見つめ返す。普段の彼女は平静で怜悧。そして強い。
そんな彼女は小さく息を吐いて、めがねの奥で眼を細めた。
「…………貴方と仲良くすることは金輪際ないわね」
そういった後、「でも」と付け加えて、背を向けた。
「仲良くなければ、一緒に悪巧み出来ないわけで無し」
くすりと笑う気配だけが肩越しに揺れる。
「緊張感漂う生徒会運営を体験されたいのであれば、どうぞ生徒会室へおいで下さい。いつでも歓迎いたしますわ。――『お姉様』」
らしくもない芝居気を漂わせ、豪儀に言い切って、沙世子は歩み去る。
たぶん、それはある未来における彼女の結論であり、現在においては彼女なりに可能な限り素直な『和解』の意志表示だった。
「……」
今にして思う。あの日、舞台の上に立った四人のエルダー候補は、それぞれにエルダーたるに相応しい者たちであり――そしておそらく、それぞれにエルダーたり得ない『何か』をもつ者だったのではないだろうか。
票の譲渡を行った者は二人、受け取った者も二人。
その組み合わせはきっと幾通りもあった。おそらく誰か一人に決定する可能性もあった。
その結果生み出される物語の中にはいろんな成り行きがあったろう。
初音と薫子が苦楽を分かち合う道もあったろうし、場合によってはいかなる時も味方であった薫子と千早でさえも、袂を分かつことがあったかもしれない。
「……たとえば、か」
そう。もっと根本的な展開として。
学院において最も早く千早の正体を看破する人物が、香織里ではなく薫子でもなくて、烏橘沙世子であったなら、どうなったろうか?
もちろん、問答無用で全てが終わる公算が高いのだろうが。
「…………そうかな?」
案外、千早と沙世子がそれぞれに秘密を抱え密約を交わし、それでもなお、互いの背中を預け合う道すらあったのではなかろうか。
「……って、何考えてるんだろ」
どこかぎこちなく不器用な、それでも精一杯明るい笑顔で、演劇部の下級生に笑いかけている沙世子の後ろ姿を眺めながら、妃宮千早は一人つぶやき、そして、そんなとんでもなく楽天的な自分に、ほんの少し驚いた。
一年前の自分からみれば考えられないことである。
「ふええ~ 千早~ いいかげん助けてよ~」
初音に捕まったままの薫子から、情けない「SOS」が聞こえたので、千早は笑って、立ち上がった。
「ふいぃ、なんとか落ち着いたあ」
『生徒会企画エルダー主演劇成功おめでとう』と白チョークで大書された黒板を見上げて、七々原薫子が大きなため息をつく。
そんな薫子に
「おつかれさまでした。薫子さん」
と声をかけて、妃宮千早が紙コップを渡す。
半分ほど注がれたお茶は薫子の喉の渇きを気遣ったのではなく
「飲み物ありますからご心配なく」というサインのためらしい。
注がれたジュースを促されるままに飲み干して、お腹に小さな池でも出来たような気分になっていた薫子は
「うう。あたしもそうすればよかった」と愚痴りながらも、礼を言ってコップを受け取った。
本日――創造祭から数日後の週末。生徒会主催企画参加者の有志を集めて、演劇成功を祝って打ち上げが行われた。
とはいえ飲めや歌えのどんちゃんさわぎではない。
聖應女学院の女学生にふさわしくジュースやお菓子を持ち寄ってのお茶会であり、
どちらかといえば、演劇部や放送部から出向したり兼任したりで協力してくれた大道具小道具や照明音響などの裏方に対して、
生徒会からの慰労の意味が大きい。
「気配りと人望」の初音会長ならではのイベントで、諸部門の裏方以外に、千早と薫子のクラスメイトである3-Cの面々も招待されている。
となれば、四人の生徒会役員はもちろん、主演女優たる二人のエルダーもホスト役。
薫子などは感謝の意味を込めて「がんばってもてなすぞ」
と気合いも入れていたのだが、始まって早々に逆に参加者が争ってお菓子やジュースをもって周囲に群がり、
雨のように降り注ぐ感謝と賞賛の言葉で、何が何だかわからなくなった。
……ようやく場が落ち着き、それぞれにまとまって歓談できるようになったのは、会長の開会宣言後20分が経過した後のことである。
とはいえ、力尽きているのはダブルエルダーの1人だけで、もう1人の方は要領よくかつ優雅に立ち居振る舞って
(少なくとも外見的には)全くダメージは感じられない。
さらに生徒会長として今回の企画の総責任者の立場にある初音は、今も演劇部副部長の水沢玲香と連れだって、
精力的に裏方や下級生のテーブルを回っている。
玲香に参加者を紹介され、役割の説明を受けて、裏方の仕事の重要性に頷き、仕事を褒め、苦労を労い、一人一人に感謝して握手をする。
……などということを繰り返している。
「すごいな―と思うんだよね。初音のああいうところ」
遠目に親友の後ろ姿を追いながら、薫子が言った。
「計算じゃなくて、素でやってるんだから尚更すごいと思うんだよ」
「そうですね」
千早も薫子の言葉に頷き、心の中で思う。
もしも、学園祭がエルダー選挙の前にあったら、きっと聖應女学生の鑑(かがみ)たる『エルダー』は自分などよりも……
「まさかとはおもうけど。『エルダーには初音会長がふさわしい』なんて、思ってるんじゃないだろうね? 千早さん」
「え?」
まるで、心の中をのぞき込まれたかのようなその『言葉』に千早は思わず背後を振り返った。
そこには真行寺茉清の瀟灑(しょうしゃ)な立ち姿があった。
ほんの少し口元をゆがめ、銀色のフレームの奥で切れ長の目を細めている。
意地が悪そうでありながら楽しそう。
たとえるなら餌をついばむ雀を見つけた猫のよう……とは、いささか言い過ぎだろうけど。
しかし、これはこれで珍しいことである。
気遣いにせよ悪戯心にせよ、茉清という人物は他者への働きかけが極端に少ない。極稀な例外を除けば、必要以上の事をしゃべろうとすらしない。
話しかけてもレスポンスの有無はその時の気分次第という彼女である。
「……そんな意外そうな顔をしないでほしいな。芝居がかったのはあやまるよ。
自分がそう感じたから、もしかしたら君たちもそうじゃないかと思ったのでね」
「たしかに、そう思っていましたから。あまりいいタイミングだったので驚きました」
と千早は茉清に苦笑を返した。
「私はいつだってこんな自分がエルダーでよいのかと引け目を感じていますし。
そうでなくとも、あの初音さんの後ろ姿をみると圧倒されてしまって。
そんなことではいけないと思いながらも、我が身の至らなさを省みずにはいられないのです」
と苦笑のまま、千早は茉清の顔を見上げる。
ある意味、茉清はただ独り、この件に関して千早の心境を忖度できる立場にある。否。
ただ一人、その『資格』があるといってよい。
真行寺茉清こそは、四人目のエルダー候補であり、自らその席を降りて千早に得票を託した人間なのだから。
その意味でいえば、茉清は千早が唯一弱音を吐いても(それを肯定するか否かは別にして)聞き届けねばならない人物といえる。
妃宮千早、七々原薫子、そして真行寺茉清。
奇しくも、といってよいだろう。この狭い教室の中に、エルダー選挙で壇上に招かれた4人が揃っていて、しかも皆瀬初音以外の3人が揃っていた。
「――で、だ」
茉清はこほん、と咳をするようなゼスチャアを挟んで、へたり込んでいる薫子へ問いかけた。
「薫子さんはどう思う?」
「あたし? ――んーそうだねえ」
腕組みをして、こきんと首をならし
(頭を使い出すと、途端に無防備になって地がでるのはご愛敬)薫子が言った。
「初音は凄いし、偉いし、立派だし。でも、初音だからねー。
付き合いが長すぎる所為だと思うんだけど、にこにこしながら嬉しそうに握手したり話たりしてるのみても、
あたしの場合、『ああ、初音だなー』以外の感想は出てこないんだよね」
いかにも付き合いの長い親友同士だからこその、見解であった。
「そりゃあ、あたしに比べれば万倍エルダーらしいし。
千早や茉清さんと比べたって遜色ないとは思うけどさ。
初音のアレは『皆瀬初音生徒会長』だから――生徒会を率いてきたからこそ、できあがったもんだとおもうんだよね」
「生徒会長なればこそ、と?」
うん。と薫子は頷いた。背筋を伸ばして、居住まいを正す。
「昔……私のお姉様がエルダーになった時に、学校新聞の号外が出てさ。その見出しが誰が考えたのか知らないけど、『櫻の園のエトワール』だったのよ」
急に話の流れが変わる。薫子が少し考え込むようにしながら話そうとしていたので千早は黙って続きを待つことにした。
茉清は怪訝な顔をしながらも「ああ、そういえば」と相槌をうった。
「何故か『白菊の君』じゃなかったね。それで私もおぼえているんだけど」
薫子もうん、ともう一つ頷いた。
「櫻の園というのは学生寮がいくつもあった時代に今の寮の建物が『櫻館』と呼ばれたことに因んでいて、
『エトワール』――『星』はお姉様……周防院奏様が演劇部の花形女優だったことに関係あるんだろうけど……」
薫子は小さく吐息してから、幽かに笑った。
「その時におもったんだ。エルダーってさ。ほんとに『星』なんだよね。超新星みたいにさ。エルダー選挙の時の誕生するんだよ」
どれほど信望をあつめようが、その瞬間までは、単なる最上級生に過ぎない。
それが全校生徒の「乙女たるもの、かくあれかし」という羨望と期待を寄せられ集めて、やがて爆発的に誕生する。
……場合よっては当の本人の意向すら無視して。
銀色の巨人一族ならぬ凡人には、いささか混乱を催す事態。
宇宙警備隊をやろうなんて風にはそうそう「開き直れる」わけはない。
「それとは反対に聖應の生徒会長は『世襲制』じゃない? 先代の卒業前に指名されて引き継ぎを承けて『生徒会長』になっていく……」
自分自身の理想と先代の『宿題』を抱えて歩み、それを後の世代に託す。
有能だったり元気だったりと特徴はあれども、ごく普通の生徒が、困難を一つまた一つと越えていくうちに唯一無二の『生徒会長』へと成長を遂げる。
「あたしは、さ。
初音が櫻館にやってきて、由佳里お姉様の妹になって、陸上部に入って、生徒会の書記になって、
お姉様の思いを引き継いで生徒会長になって――そんな二年間をずっと側で見てきたから、そう思うんだろうけど」
エルダーシスターは、エルダー選挙の結果として……全女学生の憧憬を集めて『誕生』するもの。
聖應女学院・生徒会長は、前代を受け継いでいつしか、それにふさわしい人間へと『到達』するもの。
その出生の違い故に、二つの『華』は並び立つ。それが聖應伝統のエルダーと生徒会長。
櫻館での日々で出合った人々の面影を一人一人思い出しながら、薫子は心の底から宝箱を持ち上げるように、思い出をたぐった。
「あたしはね。生徒会長は初音しかありえないし、誰かが代われるものでもない、と思うんだ。
そして、初音がエルダーにふさわしいかといえば、間違いなく相応しいんだけど、
それは生徒会長という職責と歴代の願いによって、そこまで成長したのであって……仮にエルダーになったとしても、
生徒会長とエルダーの立場が相容れない時は……初音はきっと先代から――由佳里お姉様から受け継いだ
『生徒会長』であろうとするんじゃないかと思うんだよね」
菅原君枝様なんて、生徒会長にして「かぐやの君」の二つ名をもつエルダーシスター……だったわけで、
両方全うしちゃって完璧だった物凄い人も歴代生徒会長にはいるんだけどさ、と付け足す。
「まあ、自分を完全に蚊帳の外に置いて無責任に論じてみるならば……あたしの見解はそんなトコ」
そして、その上で、「たとえば、の話しだけどさ」と、薫子はにやりと笑った。
「そんな感じの責任感の強い真面目な生徒会長殿が『ダブルエルダー』の片割れだったら、千早の苦労はもの凄いことになったんじゃないかなー? 」
「う゛っ……」
千早は喉の奥で唸って、言葉を飲み込んだ。
エルダー選の時に、薫子が初音に得票を譲渡していれば起こりえた事態である。
そして、その結果、ここまで彼女たち(他一名)が紡いできた物語は全く違う展開を見せたろう。
もしも、あの時、あの場所で、千早の側にいるのが薫子ではなく初音だったのなら……
そう思うと、薫子とは別のベクトルで、心強くもあり同時に苦労しそうでもあった。
千早が薫子に言いくるめられるという物凄く珍しい光景に茉清が目を瞬かせていると、薫子はますます調子に乗った。
どうやら、薫子の想像の中では自分だけは気楽なポジションにいるらしい。
「多忙な生徒会長をやった上にエルダーになるっていうなら、初音も凄まじく大変だろうから間違いなく巻き込まれるね。
まあ、あたしはきっと気楽だろうねー。わっはっはー」
七々原薫子、我が世の春である。
「ニコニコしているけど、初音はあれで人使い荒いんだよね。
――いやいや、こき使うとかじゃないんだなー。
『気がつくとこき使われている』というか、周りにいると自然と
『頑張らなきゃ。仕事しなきゃ』って思っちゃうんだよ。あれ不思議だけど」
けらけらと笑いながら続ける。
「本人は何にも強制とか命令とかしないんだけど、一生懸命が伝染するというのか。
気がつくと力一杯仕事してるんだよね。
そりゃもう生徒会なんてきっと物凄いことになってるし。
いや、あたしもなんやかやと手伝いはしてきたけど、由佳里お姉様の頃はまだしも、
初音の代になってからの生徒会なんてもうサービス残業上等の企業戦士ぽいんだもん。
ダブルエルダーは生徒会室に『カンヅメ』だね!」
と、そんなことを上機嫌で話していた時
「大丈夫ですよ~」
などと、のんびりした声が薫子の背後から聞こえた。
「ぜっ――たいっにあり得ませんけど、もしもそんなことになったらー」
そして、がっし、と声の主が薫子の肩を両手で掴む。
「薫子ちゃんには昔みたいに生徒会に手伝いをしてもらいますからー」
さらに
「……その場合、『庶務』をやってもらうのがいいでしょうね。
どうせやっかい事を見つけるか、探すか、作るかするんですから。
最初からトラブルシューターの立場にいていただいた方がまだしも全体の効率がよくなるでしょう」
――氷のように冷ややかな声が追い打ちをかける。
「お、おや?」
薫子が振り返ると、そこには柔らかい笑顔の生徒会長と硬い笑顔の生徒会副会長がいた。
「あれ。いつから……」
「『エルダーになったら』私が人を『こき使う』ところかしらー」
うふふふふふ。と、どこか虚ろな笑い声が響く。
「こわっ。こわいってば、初音っ……てか、いってないってば、そんなこと。ちょ、まっ、いや誤解っごかいだからー」
「うふふふふー。どんなごかいー?」
「六階の下で、四階の上の……ゴメンっ。冗談っ冗談だってばっ」
苦し紛れの駄洒落もスルーされた薫子が、ずるずるずるーと初音に部屋の隅に引きずられていく。
「……」
「……」
そんな二人の様子を呆然と眺めやった後、ふと視線を戻した千早は、やはりため息とともに顔を戻した烏橘沙世子を真っ正面から向き合うことになった。
そして、しばしそのまま、お互いの瞳をのぞき込むように向き合う。
「本当に」
そう口火を切ったのは沙世子だった。
「初音会長が薫子さんの票を預かってエルダーになっていたら、どうなっていたのかしらね?」
顔も視線もそらさず、千早は目を閉じ、少しの黙考の後で、目を開いた。
沙世子の視線は千早が目を閉じる前と同じ場所に据えられたままだった。
「そうですね」
その瞳を幽かな微笑みとともに見返して千早は言った。
「きっと日常の喧嘩や意見の対立は逃れ得なかったと思いますが……」
沙世子が彼女自身であるように、千早は千早以外になれないが故に。
「きっと、沙世子さんと私はもう少しだけ、仲良くなっていたと思いますよ」
「そうかしら?」といぶかしげな沙世子に、
「ええ」と千早は笑って見せる。
「優しい初音会長とまっすぐな薫子庶務に見えないところで、ふたりして色々と悪巧みをするのではないかしら」
沙世子はしばらく何もいわなかった。そしてもう動揺もしなかった。
ただ、静かに千早を見つめ返す。普段の彼女は平静で怜悧。そして強い。
そんな彼女は小さく息を吐いて、めがねの奥で眼を細めた。
「…………貴方と仲良くすることは金輪際ないわね」
そういった後、「でも」と付け加えて、背を向けた。
「仲良くなければ、一緒に悪巧み出来ないわけで無し」
くすりと笑う気配だけが肩越しに揺れる。
「緊張感漂う生徒会運営を体験されたいのであれば、どうぞ生徒会室へおいで下さい。いつでも歓迎いたしますわ。――『お姉様』」
らしくもない芝居気を漂わせ、豪儀に言い切って、沙世子は歩み去る。
たぶん、それはある未来における彼女の結論であり、現在においては彼女なりに可能な限り素直な『和解』の意志表示だった。
「……」
今にして思う。あの日、舞台の上に立った四人のエルダー候補は、それぞれにエルダーたるに相応しい者たちであり――そしておそらく、それぞれにエルダーたり得ない『何か』をもつ者だったのではないだろうか。
票の譲渡を行った者は二人、受け取った者も二人。
その組み合わせはきっと幾通りもあった。おそらく誰か一人に決定する可能性もあった。
その結果生み出される物語の中にはいろんな成り行きがあったろう。
初音と薫子が苦楽を分かち合う道もあったろうし、場合によってはいかなる時も味方であった薫子と千早でさえも、袂を分かつことがあったかもしれない。
「……たとえば、か」
そう。もっと根本的な展開として。
学院において最も早く千早の正体を看破する人物が、香織里ではなく薫子でもなくて、烏橘沙世子であったなら、どうなったろうか?
もちろん、問答無用で全てが終わる公算が高いのだろうが。
「…………そうかな?」
案外、千早と沙世子がそれぞれに秘密を抱え密約を交わし、それでもなお、互いの背中を預け合う道すらあったのではなかろうか。
「……って、何考えてるんだろ」
どこかぎこちなく不器用な、それでも精一杯明るい笑顔で、演劇部の下級生に笑いかけている沙世子の後ろ姿を眺めながら、妃宮千早は一人つぶやき、そして、そんなとんでもなく楽天的な自分に、ほんの少し驚いた。
一年前の自分からみれば考えられないことである。
「ふええ~ 千早~ いいかげん助けてよ~」
初音に捕まったままの薫子から、情けない「SOS」が聞こえたので、千早は笑って、立ち上がった。
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