姫と王子

「茉清さん、今お帰りですか?」

放課後、暇を持て余した私は図書室で読書をした後、帰路に着いていた。

「聖さんか。私に何か用かな」

私が人から声を掛けられるのは珍しい。

「いえ、特別な用があるわけではないのですけれど、茉清さんと帰りたいなと思いまして」

「構わないけれど、面白いことは何もないわよ」

「そんなことまったく全然ないです!わたしは茉清さんとご一緒できるだけで楽しいですから!」

そう云って聖さんに笑顔で返されてしまった。馴れないことに戸惑ってしまう。

「なら、帰ろうか」

素っ気なく私はそう云って歩きだす、聖さんはそんな私の後ろから少し早足になりながらついてくる。

「少し早いみたいね」

「あっ、いえそのようなことは……その……少し」

「そうね。少し緩めるわ」

聖さんの可愛らしい様子に思わず口元まで弛んでしまう。

「茉清さん、笑いましたね?」

「全く、聖さんには敵わないわね」

「話を逸らさないでください」

私は本当に変わってしまったなと思う。人と話すのが苦手な私は、独りでいたいと集団を避け、気がつけば孤高の王子と呼ばれるようになっていた。

「人の出逢いって不思議よね」

「そうですね。本当に不思議です」

そんな私が、高等部に進学してすぐに、溜め息を吐く外部編入生を目にして、好奇心故に声を掛けた。きっとそれが私にとっての転機だった。薫子さんとの出逢いが。

「でも出逢いってすごく素敵なことだと思います」

「……本当にそうね」

薫子さんとの出逢いから二年後の同じ日の出来事だった。溜め息を吐く転校生に私は声を掛けた。笑いがこみあげてくるほど見たことのある光景だった。彼女は妃宮千早と名乗った。

「あのさ、聖さん……」

「あのっ、茉清さん……」

薫子さん、千早さんと親しくなるにつれて、もう一人の少女とも親しくなっていった。私のクラスの受付嬢の聖さん。最初はただ共通の友人を持つ知り合い程度だった。

「あっ、ごめん」

「いえっ、その……私こそ」

中間試験で私が聖さんに勉強を教えてから、私は聖さんを意識するようになった。明るく、誰にでも優しく接する聖さん。彼女は私にとって、眩しすぎる存在だった。そして、先週の事件が起こった。私のファンクラブとやらの下級生が、聖さんの机に画鋲を仕組み聖さんが怪我をした。次の瞬間には、私は怪我をした聖さんの手を引き、急いで救護室に向かっていた。今思えば聖さんもたいした怪我をしたわけでもなかった。おそらく聖さんでなければ、私も慌てて救護室に連れていくなんてことはしなかったと思う。

「聖さんの話を聞くわ。私の話より大事そうだから」

「……はい。あのっ、茉清さん」

 孤高を貫く王子様。誰にでも優しく笑顔が素敵なお姫様。聖應女学院というお嬢様が通う箱庭で、私たちは出会い、そして友達となった。私はきっと、あの時の聖さんの言葉を生涯忘れることはないだろう。

『そんな茉清さんは、私にとっては、ちょっとぶっきらぼうで気難しいですけれど……優しい、大切なお友だちなんです』

 それ以来、聖さんに会うとどうしても意識してしまう。

「今日から一緒に帰りませんか?」

「えっ?」

予想だにしない聖さんの言葉に思わず声が漏れてしまった。私の反応に、聖さんは動揺してしまっている。

「あのっ…やっぱりそのっ」

「もちろん、いいわよ」

「……はい?」

今度は聖さんが固まってしまった。

「そんなことで緊張しないで欲しいな」

「えっと、茉清さん?」

私は心のどこかで孤高でいなければならないと意固地になっていたのかもしれない。しかし、もうその必要もない。私には大切な友人がいるのだから。

「聖さんは私からお願いしたいことをいつも先に云ってしまうから。私からのお願いも聞いてもらおうかな、聖さん」

「ま、茉清さん……はい、喜んで!」

「いや、まだ何も云ってないのだけれど……」

思わず笑ってしまう。本当に聖さんを見ていると癒される。

「ちょっとしたツテで今週の土曜日に上演されるミュージカルのペアチケットを貰ったのよ。本当は一人で行こうと思っていたのだけれど、折角だから聖さんと一緒に行きたいなと思って……」

私がそう云った瞬間………。

「行きます!絶対行きますから、茉清さん一人で行ったらダメです!私、茉清さんを恨んでしまいます」

私の手を両手でがっしり握って上下に揺らしながら真剣な眼差しで聖さんが見つめてきた。

「聖さんって、そんなにミュージカルが好きなの?」

「あっ…あの、ミュージカルは初めてです。茉清さんが一人でなんておっしゃるからつい……」

もうだめだ、聖さんが可愛すぎる。

「聖さんが私の単独行動を許してくれなかったら、私が築いた孤高な王子の称号が形無しよね」

「大丈夫です。茉清さんは私の王子さまですから」

聖さんはそう云ってから慌てて口を手で抑えた。聖さんの頬は紅潮している。

「とりあえず、土曜日は予定を空けておいてくれると嬉しいわ」

私も照れ隠しに話を逸らしてしまう。

「はい。楽しみにしていますね」

少しぎくしゃくしてしまったが、私たちは自然と手を繋いで歩きだした。他愛ない会話をして笑い合う。そんな当たり前の行為が私にとって何物にも代えがたい幸せだった。

私は急いでいました。それはもう、全力で。

「まさかこんな時間になるなんて」

集合時間の5時間前には起きていたのです。お菓子を作って、弟たちのご飯を用意して家を出れば悠々と間に合うはずだったのです。それなのに、弟たちが起きてきまして……

『あれ、お姉ちゃん今日出かけるの?』

 と三男に聞かれましたら……

『珍しいね。あっ姉さんもしかしてデートでしょ』

 と長男が云いまして……

『デート、デート、姉ちゃんがデート!』

と次男がまくし立てますと……

『うわーん。お姉ちゃんが取られた~』

と三男が泣き出したのです。

正直図星だったので、すっごく焦ってしまい、その動揺を長男が悟ってしまったようです。もう説得するのが本当に大変で、三男は私にしがみついて泣いてるし、次男と長男は『女の子の友達と遊ぶだけよ』と言っても納得しないし、結局説得に3時間もかかってしまいました。

それで、家を出たのが約束の30分前。電車を降りた時点で既に3分の遅刻です。メールを送ったので、茉清さんがいないことはないと思うのですが心配になってしまいます。

改札を出て駅前広場に着くと、ベンチに座って本を読んでいる茉清さんがいました。

「茉清さん、お待たせして申し訳ありません」

「ふふっ、まさか聖さんが遅刻するとは思わなかったな」

私の予想とは反して茉清さんは笑っていました。

「茉清さん、怒っていませんか?」

「あら、どうして?」

恐る恐る、私は茉清さんの顔を見上げました。茉清さんとの大事な約束の日に、人生初めての遅刻をしてしまうなんて、情けなくて私は泣き出しそうになっていました。

「このまま聖さんに泣かれてしまうと、私は大悪党になってしまうわね」

茉清さんにそう云われて周りを見ますと、皆さんが私たちに注目していました。

「ご、ごめんなさい」

「謝る必要はないわ。びくびくっと体を震わせている可愛い聖さんが見れたのだから」

笑顔の茉清さんにそう云われてしまいまして、私は為す術もなく顔を赤くしてしまいました。

「さぁ、行こうか」

茉清さんが優しく私の手を握ってくださいまして、私のペースに合わせてゆっくりと歩きはじめたのでした。

どうやら聖さんは、遅刻したことで相当落ち込んでいるようだ。いつも笑顔で明るい聖さんが、下を向いてとぼとぼとついてくる様子に、不謹慎にも私は笑ってしまった。

「ふふっ、もしかして聖さんって今まで遅刻したことがないのではないかしら?」

「……は、はい。不覚にも、こんな大事な日にしてしまいましたが……」

「そんなに落ち込む必要はないわ。むしろ、聖さんと私にとって印象深い日になりそうで、喜んでいるくらいだから」

「それなら安心ですけど……」

そう云って聖さんはやっとこちらを見てくれた。

「聖さん……可愛い」

「茉清さん、私すっごく照れ屋さんなんで、あんまり変なこと云われますと困っちゃいます」

なんとか聖さんも笑顔に戻ってくれたみたいだ。

さて、劇場に到着した。チケットをくれたのが薫子さんなだけに、ちょっと釈然としないが、開き直って大切な友達との時間を楽しみたいと思っている自分に気付いて思わず笑みがこぼれてしまった。

「聖應女学院短期大学演劇部ですか……演目は、『夕陽のあたる教室』みたいですね」

「あら、その話って梶浦先生が書いたと噂の小説ではなかったかしら」

 最近学院で噂になっていたので私もその小説を知っていた。実は、駅前で聖さんを待っている間に呼んでいた本も『夕陽のあたる教室』だった。薫子さんが心底感動したらしく、執拗に薦めてくるので仕方なく読み始めたのだけれど、内容が内容だけに無視できない小説だった。実は、既に二順している。

「そうなんですよ。私も先日薫子さんにお薦めしていただきまして、読んだのです。恥ずかしながら私、小説を読み終わって泣いてしまいまして……自分の部屋で読んでいたので良かったですけど、学校で読んでいたらと思うと危ないところでした」

 どうやら薫子さんに振り回されたのは私だけではないようだ。

「そう云えば、茉清さんは今日の演目を知らなかったのですか」

「え、ええ。実は、そのチケットは薫子さんが私にくれたものなのよ。今度駅前の劇場で上演されるミュージカルのチケットだから、聖さんと必ず行ってねって無理やり」

「ふふっ、ツテって薫子さんのことだったのですね」

「ええ。しかし、薫子さんはこれのどこがミュージカルだと思ったのかしら」

「薫子さんらしくて可愛らしい間違いじゃありませんか」

「そうね」

 今回上演された劇は、主演が周防院奏お姉さまと鷲尾緑お姉さまだった。原作の世界観のままに洗練された脚本で、お姉さま方の迫真の演技も相まって、感動的なフィナーレを迎えた。劇が終わった後、隣の聖さんを見ると、ハンカチで涙を拭っていた。

「演目を聞いたときに覚悟はしていましたが、感動のあまり涙を流してしまいました。今日の私はいいとこなしですね」

「そんなことはないと思うな。私も心を動かされたから」

「茉清さんもですか?」

 劇場からの帰り道、私たちは喫茶店に立ち寄ってお話をしていました。

「ええ。どうも、他人事には思えなくてね」

「あっ……その感覚、わかります。ついつい、私も自分と茉清さんを二人に投影してしまって……」

「……聖さん」

 今しがたの自身の発言を思い出して、私の顔は真っ赤に染まってしまいました。

「ひゃうっ……私、何を云ってるのでしょう」

 茉清さんの方を見ると、非常に困った顔をしていました。

「嬉しいな。聖さんも私と同じ考えだったみたいで」

 ふいに、笑顔で茉清さんが信じられない言葉を私にかけてくださったのです。

「あの、茉清さん?」

 気づくと茉清さんは隣の席に座る私の手を握っていました。

「聖さん……本当にありがとう。私の友達になってくれて」

「茉清さん……」

 私は茉清さんの手を強く握りかえしました。

「私の方こそ、茉清さんとお友だちになれて嬉しかったのです。ですから、ありがとうございます、茉清さん」

「聖さん……」

 茉清さんと目が合って、二人とも笑みがこぼれました。

「これからもずっとずっとお友だちですから」

「ええ。ずっとずっとね」
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